人はなぜ宝石を身につけるのか(1)ウル

神話でわかったこと。


神に宝石は必要なく、人間が神・または不老不死などの人間が到達したい何かに近づくために、宝石を使う。または宝石にそれを投影してきたんだということでした。

土から出てくるものに驚き、そこに価値を見出し、意味を与えてきたのは人間です。
人間が後付けて為したことだったわけで、けれどそれぞれの石が各地で同じように扱われているのは非常に面白いことだなと思うんです。

これは石の硬度や色、形、光り方など、宝石が持つ特性を捉えて、そこに意味付けしたわけですね。

前回の記事ではプリニウスを読みながら、私は「宝石の意味はどこから生まれるのか」を考える記事を書きました。

今回は、そこから一歩手前に戻ってみます。そもそも人間は、なぜ石を「身につける」ようになったのでしょう。

私は、ここが非常に面白いと思っています。

どうしてそう感じたのか。どうしてその宝石はそのように扱われるようになったのか。
何に因って「そう」なったのか。


そこでまだ私も探究段階ではありますが、伝承や神話などをもとに「人はなぜ宝石を身につけるのか」というシリーズで書いていきたいと思います。


石は、遠くからやってくる

紀元前2600年ごろ。

現在のイラク南部にあたる場所に、ウルという都市がありました。

20世紀初頭、この地で発掘された王墓から、驚くほど豪華な装身具が見つかっています。

金。ラピスラズリ。カーネリアン。

4500年以上も前の人々が、すでにこれらを組み合わせ、首や頭、身体を飾っていました。

古代の装身具を見ること自体はもちろん面白いです。現代ではとんでもない高値がつきそうな繊細複雑な細工、信じられないほど贅沢に使われた金など、見応えは十分ですよね。

エジプト展が開催されると迷わず行ってしまいます。

でも今回、私が引っかかったのは、そこではありませんでした。

「この石、どこから来たんだろう?」

ということでした。

この土地には、ラピスラズリがない

ウルの王墓で使われたラピスラズリは、南メソポタミアで採れたものではありません。

その主要な産地として知られているのは、現在のアフガニスタン北東部、バダフシャン地方です。

地図を見ると、かなり遠い。

ウルからラピスラズリの産地までは、直線距離でもおよそ2,400km。日本から台湾を超える距離です。
当然、飛行機もトラックもありません。

採掘された石は、人から人へ、土地から土地へと渡りながら、長い距離を移動してきたはずです。

そして最後には、小さく加工され、人間の身体の上に置かれた。

ここで、ちょっと不思議になりました。

なぜ、そこまでして?

もちろん、希少だったから価値があった、と考えることはできます。

それを身につけることで権力や富を示すためだったとも考えられるでしょう。

でも、それだけでしょうか。

宝石は「そこにないもの」だった

今の私たちは、世界中の宝石を見ることができます。

東京にいながら、アフガニスタンのラピスラズリも、コロンビアのエメラルドも、ブラジルのパライバトルマリンも見ることができる。

だから、つい忘れてしまいます。

昔の人にとって宝石は、

「自分のいる場所には存在しない物質」でもあったということを。

土や木や身近な石とは違う。

その土地にはない、深い青色をした石が、遠い土地からやってくる。

しかも、小さい。

手のひらに乗る。

持ち運べる。

そして、なかなか朽ちない。

そう考えていたら、私には一粒のラピスラズリが、少し違って見えてきました。

遠い世界が、手のひらに乗っている。

宝石という物質には、そんな経験が最初から含まれていたのかもしれません。

なぜ身につけたの?

けれど、ここでまた一つ疑問が残ります。

遠くから運ばれてきた珍しい石なら、大切に保管しておくだけでもよかったはずです。

それを人間は、削り、磨き、穴を開けて、わざわざ自分の身体につけた。

首にかける。
耳につける。
腕に巻く。
指にはめる。

なぜでしょう。

前述の通り「珍しいものを持っている」と人に見せるためだったのかもしれない。権力や富の証だったのかもしれない。

でも、宝石の歴史を追っていくと、それだけでは説明できないものが次々と出てきます。

神に近づくための石。
死者を守るために身体に置かれた石。
運命と結びついた石。
人間の徳を表した石。
宇宙の秩序を身体の上に再現するための石。

どうやら人間は、「珍しいから持つ」以上のことを、石にさせてきたようです。

今回わかったのは、そのもっと手前のことでした。

宝石は、人間の日常の中に最初からあった物質ではない。

少なくともウルのラピスラズリは、遥か遠くから、人の手を渡りながらやってきました。

「ここにはないもの」を、人間は遠くから運び、そして自分の身体の上に置いた。

では、今回のウルのラピスラズリから何が見えてきたのでしょう。

私は、宝石の歴史を調べるとき、つい「その石にはどんな意味があったのか」から考えていました。

ラピスラズリにはどんな意味があったのか。
何を象徴していたのか。
何のために身につけたのか。

でも、その前にもっと単純なことがあったんですね。

その石は、どこから来たのか。

ウルにはない深い青色の石が、直線距離でもおよそ2400km離れた土地から、人の手を渡りながらやってくる。

4500年前の人にとって、それは今の私たちが宝石店でラピスラズリを見るのとは、まったく違う経験だったはずです。

宝石に特別な意味があったから、人間が宝石を特別に扱った。

私はどこか、そんな順番で考えていました。

でも、もしかするとその前に、

遠くからやってくる。
見たことのない色をしている。
小さいのに、長い時間変わらずに残る。

そんな石そのものの存在に、人間が驚いたということがあったのではないでしょうか。

そしてその驚きの上に、意味や物語が少しずつ積み重なっていった。

だとすれば、「人はなぜ宝石を身につけるのか」を考えるとき、いきなり神話や呪術から始めるのではなく、まず人間がその石をどう見たのかを考える必要がありそうです。

今回、ウルのラピスラズリから見えてきたのは、

宝石は、最初から人間の日常の中にあった物質ではなかった。

「ここにはないもの」が、遠い世界からやってくる。

それを人間は手に取り、加工し、身体の上に置いた。

もしかすると宝石の物語は、石に「意味」が与えられたところからではなく、人間がその物質に驚いたところから始まったのかもしれません。

では次に知りたいのは、人間はその石に、何を託して身体に置いたのか。

もう少し、時代と場所を変えて追いかけてみようと思います。