自信ってなんだろうか
いままで、驚くほどにこの言葉を聞いてきました。
「自分に自信がない。」
自信ってどうしたら手に入るものなんでしょうか。
私はこの疑問をお客様に言われるたびにずっと考えてきました。
「私如きがそんなことをするなんて」
「まだまだ全然駆け出しですから」
「わたしなんてとるに足らない人間なんで」
なんてことをいっぱい聞くたびに、ではどうしたらそう思わなくなるのか
考え続けてきました。
「自信」の定義を考えさせられた出来事
10年以上前になります。
私の友人のお話です。
彼女は家柄もとてもよくてちょっと飛び抜けたお金持ち。
様々な能力も資格もありました。
そんな彼女にある日、「どうしてあなたってそんなに自信が持てるの?」と聞かれました。
それはそれは真っ直ぐで直向きな目だったことを覚えています。
翻訳すると「その程度なのにどうして自信があるのだ?何を根拠に??」
ということだったと思います。
誤解のないようにお伝えしますが、彼女は別に私のことを貶めたり、
見下している気持ちなんてもちろんなくて、我々はごく良好な人間関係でした。
彼女の性格も熟知していますから、とにかく純粋な疑問だったんだろうと思います。
必死で認められたくて資格も次々と取ってきた。
仕事もこれでもかというほどの完璧さで積み上げてきた彼女。
でも自信がない。
なのにちゃらんぽらんな私(この言葉は彼女が使ったわけじゃありません!)
がいつだって自信たっぷりなのが不思議だということだったのでしょう。
別にちゃらんぽらんでも自信たっぷりでもなかったですよ。
彼女にはそう見えたというお話です。
自信の源
ただ、私は自信がないなどと思ったことはありませんでした。
もとい、自信というものが存在することを求めていなかっただけの話です。
けれど、彼女との対話の中で気づいたことがありました。
外に自信を求める=自信が持てるのは外側の誰かに、なにかに認めてもらうことだ
と思っている限り永遠に自信なんて持てないのではないかなと思います。
私はその時々で自分自身が「オッケー」を出せる私であるなら
そこに自信を持つようにしていたみたいです。
「みたいです」というのは、彼女に言われるまで自信云々などという感覚が
なかったのです。
自信がある・ないは私にとってはあまり重要なことではなかった。
ただ、その時々でベストを尽くしていただけです。
が、同じようにベストを尽くしていた彼女にとって、外側からの評価を
待っていること自体が自信のなさの原因だったようです。
スペックという言葉を使えば、はるかに彼女の方が上だったのに
自信という物差しだと私の方が高かったということになります。
この経験は私にとって大きな気づきとなりました。
自信とは能動的なもの
年月を経て、多くのお客様から「自信がない」ということを
聞くたびに考えてきたことが最近まとまってきたのでこの記事を書いています。
自信というのは実は受動的なことではないのです。
非常に能動的なことです。
現時点でできていることを小さくても認めること。
その都度、自分を認めること。
完璧ではない、未熟であり道半ばの自分に、その瞬間は現状にオッケーを出すこと。
「この程度で自信を持つぞ」という完璧主義を手放す精神が
実は自信にとってはとても大切なことだと思います。
人間は完璧ではない。
完璧な(そう見える)人と比較して「自信がない」「まだまだだ」と思うこと自体
ナンセンスなのです。
絶対評価でいこう
自分が自分を誇れるか?誇れるまでやれるか。
何かを諦めることなく、自分に対して胸を張れるのか。
そうした気持ちになれるまで物事に取り組むことしか自信の種はない。
小さくても一つ一つ、自分で「自信」として上書きしてく作業は
とても地道で孤独なんだけれど、気づくと思った以上に大きな力になっていることに
驚くでしょう。
自信は能動的に取りに行くものなんです。
そして自信の種を植え、育て続けるのも自分の仕事。
他人や社会にそれを求めたら永遠に手に入ることのない蜃気楼のようなものです。
自信がないという言葉はもしかしたら大人が使ったらいけない言葉のような気がします。
小さな自信を積み重ねるための石ってなんだろう?
ふと考えてみたけれど、それは石の仕事ではなくやはりどこまでいっても
人間の仕事なんだなと思うのです。
Atsuko Takano