京都「設定し直しの会」レポ1️⃣


高野睦子です。

京都設定し直しの会の続きです。

今回も名古屋に続いてカメラマンさんに入っていただきました。

今回の目的の一つに「ジュエリーの写真を撮らせていただく」というのがあったからです。

手前味噌なんですけれど。本当にみなさんそれぞれにお似合いになっていて。

AさんのジュエリーはBさんでは決してダメだったり、逆もそうだったり。

小さいくせに主張や存在感が強いんですよねえ、ジュエリーって。

それがとてもいいところでもあり、ちょっとリスキーなところでもあると思っています。

このジュエリーの持つ「波動」。

私はよく「似合わないものをつけないで欲しい。その石を(似合わない石)買うなら高島屋で買ってください」というようなことを言いますが、これは冗談でもハッタリでもないんです。

私のところだと石にお役目というか目的を持たせてしまうからなんです。

「このためにつける」という設定をしてしまうから。ある意味、発動するわけです。

けれど、「かわいいハート」って愛でて身につけるだけなら別になんだっていいじゃないですか。

もう仕入れの段階から目的が違っているので、だから高島屋で買ってね(伊勢丹でもいいけど)と言っているんですね。

設定の意味と見直し

で、その設定も当初のままだとなんかずれてくることもある。

一番今回会っていなかったお客様はおそらく5年ぶりとかではないかな。

5年も経つと内外色々変わります。その変化に応じて、「設定・意図」を入れ替えてみるという試みでした。

※ここから先は個人のお見立ての話ではなく、一般論として書いています。

こちらはパープルサファイア。

この石には「決して自分を落とさないこと」という大前提の上に、ご自身の持つ美しさや高貴さを忘れないでという意図を込めることがとても多いです。

謙るという文化

日本人は本当に、謙る美学をお持ちの方が多いなあと思います。

これは美しい美学である反面、割り箸理論と言われる、はみ出すと叩かれるという確信に近い恐怖みたいなものが誰の心にも根強くあるということは感じます。おそらくこれは社会に出て痛感して、またさらに強めた方も多いでしょう。

だから謙るをちょっと違った使い方にしてしまう場合があるのではないかなと。

でも、本当の「謙る」という礼節は、決して自分を下げることではないと思うんです。

チャッピーに聞いたらこれが出てきた。

単に「自分を下げる」ではなく、

  • 相手への敬意
  • 礼儀
  • 節度

を表す言葉です。

私は冒頭の「単に」を削除したい。だとしたらとても美しく間違わずにできそう。

というわけで2度目。

尊厳という言葉

そして。

自分に敬意を持ち、尊厳を持つことで、

「謙る」ということも上手になる気がするのですよね。

むしろ自分に尊厳がない状態での「謙る」は一歩間違うと

卑下になるのではないか。

自分を確立する、しかも社会へとそれをちゃんと表明・表現していくというのは難しいものです。

けれど自分への尊厳を本当に知った時、きっと全てが整うという体験も、きっとあると思うのですね。

・・・・という石がこちら。

イエローダイヤです。

イエローって腹にくる。

腹の声。腹を括る。腹にすえかねる。腹落ちする・・の腹です。

第三チャクラあたりを司ります。

自分への尊厳はこの辺り強化も大事だと思っていて・・・ということは頭で考えてできることじゃないってことです。

尊厳とは体に落とし込むことなのです。

この石は「喜びを感じることをたくさんして」というメッセージをいろんな方に乗せてお届けしたんですけれど、喜びが教えてくれることは非常に多い。

そして喜びにこれだけ種類があるってこと、知ってました?私は知りませんでした。

喜び   嬉しい気持ち 満足 心が明るくなる感情→日常的で広い意味

悦び    内面的満足  心の深い満足 静かな幸福感 精神的な充足→内側から湧く喜び

歓び    盛り上がる喜び  大きく歓迎する 盛り上がる喜び→ 祝祭的な喜び 外に広がる

慶び    祝福  めでたい出来事への喜び→かなりフォーマル

嘉び    人として善いことが起きたことへの喜び

   よい出来事を心から尊び喜ぶ 天や大きな流れにかなう喜び  

※現代ではほとんど使われませんが、意味としてはかなり深く格の高い喜び。

「嘉」という字は「よい・めでたい・立派」という意味があるそうです。

喜びってこれだけあるんですねえ。

もっというと、語源から見ると喜びとは「良い出来事に触れて、心が動くこと」。

単なる感情ではなく、出来事と心が呼応する状態。だそうです。

感じることって大切。喜びをここまで微細に使い分けて感じることができたなら素晴らしいなと思います。

そしてイエローダイヤに戻りますが、喜びを体で感じ、落とし込んでいくと、結局は自分への尊厳につながっているというお話。

尊厳というのは「尊厳を持とうではないか!」と思って持てるものではないと思うのですよ。

生きることを喜び、生きとし生けるものへの喜びを感じる。

例えば今なら花の蕾を見て喜んだり、啓蟄のこのエネルギーを歓んだり。

そして今日という日に喜びを見つけて、日々小さくても喜びで満たしていく。

すると嘉びの境地にも達するのではないかと思う。

そんな人が自分に尊厳がないなんてことはないと思うのよねえ。

喜びは深い。

深過ぎてこのダイヤの記載で力尽きてしまいました。

続きは明日です。が、身の回りの喜び、探してみてね。

こちらよろしくお願いいたします。

第一層に触れる十通の手紙