人はなぜ宝石を身につけるのか(2)ティエト

石は、身体の上で意味を持つ

前回、古代都市ウルのラピスラズリを追いかけて、ひとつ面白いことに気がつきました。

宝石は、最初からそこにあったものではなかった。

遠い土地からやってきた石を、人間は運び、削り、磨き、そして身体の上に置いた。

では、なぜ体の上に置いたのでしょう。

珍しいものなら、箱にしまっておいてもいい。

神殿に置いてもいい。

家の中に飾ってもいい。

それなのに人間は、石に穴を開け、紐を通し、首から下げたり、腕に巻いたり、指にはめたりしてきました。

この「身体の上に置く」という行為を追いかけていくと、古代エジプトに、とても面白い例があります。

石は、どこに置いてもよかったわけではない

古代エジプトには「ティエト(tyet)」と呼ばれる護符があります。

「イシスの結び目」とも呼ばれる独特の形をした護符で、一つだけが存在するわけではありません。古代エジプトでは同じ形のティエトが数多く作られ、現在も世界各地の博物館に実物が残されています。

今回紹介するのも、そのうちの一つです。

赤色ジャスパー製ティエト護符
エジプト、第26〜30王朝、紀元前664〜334年。高さ2.5cm。メトロポリタン美術館所蔵。

ティエトは新王国時代には女神イシスと明確に結びついていました。メトロポリタン美術館によれば、ティエトはイシスの血とも関連づけられ、死後の世界における強い保護の象徴とされていました。

そして面白いのが、『死者の書』第156章です。(『死者の書』とは、古代エジプトで、死者が死後の世界を無事に進み、再生するための呪文や儀礼的な言葉を集めた文書群です。)

そこには、ティエトをジャスパーで作り、水を振り、植物の繊維に通し、埋葬の日に死者の首に置くという指示が記されています。

さらに、その護符が首に置かれた者の身体を、イシスの力が守るとされています。

つまり、ただ、

「この石にはこんな意味があります」

ではないんです。

何で作るのか。
どんな形にするのか。
どんな言葉を伴わせるのか。
そして、身体のどこに置くのか。

そこまでが一つになっている。

私はここが、とても面白いと思いました。

「持っている」と「身につける」は同じなのか

私たちは今、「宝石を持っている」と「宝石を身につける」を、それほど大きく区別して考えないかもしれません。

ジュエリーボックスに入っている指輪も、自分の所有物です。

でも、古代エジプトのティエトを見ると、少なくともこの護符の場合は、所有しているだけでは完結していない

決められた形にし、言葉を伴わせ、身体の特定の場所に置く。
それらが一連の儀礼として結びついている。

ここまで来ると、宝石を身につけるという行為が、少し違って見えてきます。

身体は、ただの置き場所ではなかった

前回のウルでは、

「ここにはないもの」が、遠い世界からやってくる。

というところまで見えてきました。

今回のエジプトでは、そこからもう一歩進みます。

人間は、特別な石を手に入れただけではなくその石を、自分の身体と接触させた。

しかも、どこでもいいわけではない。

ティエトの場合には、首という場所まで指定されていました。

だとすれば、「身につける」という行為は、単に物を携帯する方法ではなかったのではないでしょうか。

石に託した意味と、人間の身体を結びつける。

目には見えない「守り」を、石という物質と結びつける。

そして、その物質を身体から離さない。

そうすることで、人間は目には見えない「守り」や「神とのつながり」を、自分の身体の上に置こうとしたのかもしれません。

もちろん、これは古代エジプトのティエトという一例から考えたことで、すべての宝石装身具に当てはまる話ではありません。

けれど、少なくともここでは、

「意味のある石を持つ」ことと、
「意味のある石を身体に置く」ことは、同じではなかった。

そんなことが見えてきます。

人間は、石をただ身体に置いたのではない

第1話では、遠い世界からやってきたラピスラズリを追いかけました。

南部メソポタミアには産出しない石を、人間は遠くから運び、加工し、そして身体に置いていました。

そして今回、古代エジプトのティエトを調べたことで、その「身体に置く」という行為を、もう少し深く見ることができました。

少なくともティエトでは、石を身につけることは、単に大切なものを身体の近くに置くことではありませんでした。

何で作るのか。

どんな形にするのか。

どんな言葉を伴わせるのか。

そして、身体のどこに置くのか。

それぞれが切り離されているのではなく、一つの関係の中にありました。

私はこれまで、人と宝石の関係をずっと見てきたつもりでした。

けれど今回、そこに「身体」というものを、もう一度きちんと置いて考えてみたくなりました。

同じ石でも、指にあるのか。

胸元にあるのか。

あるいは、ただ手元に持っているのか。

それは本当に同じことなのでしょうか。

古代エジプトのティエトが教えてくれたのは、少なくとも彼らにとっては、同じではなかったということです。

人間は、石をただ身体に置いたのではない。

石と身体の「あいだ」にも、意味をつくっていた。

そう考えると、「人はなぜ宝石を身につけるのか」という最初の問いも、少しずつ形を変えてきます。

なぜ人は宝石を持つのか、ではない。

なぜ人は、その石を、わざわざ身体の上に置くのか。

まだ答えは出ません。

でも、この問いを追いかけていくと、次はさらに不思議なものが見えてきます。

人間は身体の上に、守りだけではなく、もっとずっと大きなものまで置こうとしていました。

宇宙です。

次のお話では「宝石に宇宙を込めたお話」について書いていこうと思います。