前回までの記事では「人はなぜ宝石を身につけるのか?」ということを問いとしてメソポタミア、エジプト、インド、中国、そして聖書の世界について調べてみました。
今回からはもう少し新しい歴史になります。
ここでは「宝石と権力」から始まり、最終的に宝石がより広い階層へと広がっていく歴史を追っていきたいと思います。
宝石は、いつの時代も誰もが自由に身につけられたわけではありません。
身につけてよい人と、いけない人がいた時代もありました。
では、そこからどうやって、身分によって身につける宝石を制限されない現代へつながったのでしょう。宝石を通して、人間と社会を見ていきたいと思います。
まずは「王と宝石」から。ここでは王や皇帝など、君主の身体と宝石の関係を見ていきます。
王や皇帝たちは、歴史の中で様々な眩い宝石を身に纏ってきました。
それは私たちの目を楽しませてくれるものでもあり、ため息が出るほどうっとりするものでもあります。
けれど王はそのままでも十分王なんだろうに、なぜ宝石を身につけたのでしょう。
「お金持ちだったから」
「高価なものを持つことで、権力を示したかったから」
もちろん、それも理由のひとつでしょう。
けれど、王冠や王侯の肖像を見ていると、それだけでは説明しきれないように思います。
王冠、指輪、胸飾り。
金や真珠、色鮮やかな石。
権力者たちは、ただ宝石を所有しただけではありません。
自分の身体に身につけました。
なぜでしょう。
王の身体は、私たちと変わらない
少し妙な言い方ですが、生身の王は普通の人間です。
老いるし、病気にもなる。
傷つくこともあれば、やがて死ぬ。
身体だけを見れば、「この人が王である」ということは分かりません。
血統も、権威も、「王である」という地位も、本来は目には見えないものです。
ところが王が人々の前に現れるとき、その権力はさまざまな方法で「見えるもの」として表現されてきました。
特別な衣服をまとい、冠をかぶり、金や宝石を身につける。
つまり装身具は、単なる贅沢品ではなく、
目に見えない権力を、目に見えるものへ変える
という役割を担っていたのですね。
ニューヨークのメトロポリタン美術館は、王侯の装身具について、象徴的な素材や高度な技術、権力を示す意匠によって、君主の身体を廷臣から、さらに廷臣を一般の人々から区別するものだったと説明しています。The Metropolitan Museum of Art
つまり、人間は装身具によって社会の序列を身体の上に可視化していたとも言えます。
「王であること」を身体につくる
ビザンティン帝国には、この関係が非常によく表れています。
12世紀、皇帝マヌエル1世コムネノスに宛てた宮廷人の文章には、皇帝の力が、玉座やティアラ、真珠を散りばめた衣によって知られるという趣旨の記述があります。

皇帝マヌエル1世コムネノスとされる肖像(1179年)
『Vat. gr. 1851』folio 7r/作者不詳
出典:Wikimedia Commons(Public Domain)
さらにビザンティンでは、エメラルド、サファイア、真珠など一部の奢侈品について国家が流通や使用を統制していました。
つまり、誰でも同じものを身につけられたわけではありません。
何を身につけられるかそのものが、皇帝との距離や社会的地位を示していたのです。
出典:Met「The Regal Body」
現代の私たちは、宝石を「個人の所有物」として考えることに慣れています。お金を払い、自分が欲しいものを買う。けれど、宝石の歴史を遡っていくと、必ずしもそうではありません。
たとえば中世ヨーロッパでは、王侯や貴族が金や銀、貴石を身につける一方、より低い身分の人々は銅やピューターなどを用いていました。
庶民にも装身具はありましたが、誰もが同じ素材を自由に身につけられたわけではありません。
特定の宝石や奢侈品を身につけられること自体が、特権だった時代もあったのです。
出典:V&A「A history of jewellery」
でも、なぜ宝石だったのだろう
ここでもう一つ、疑問が残ります。
権力を示すだけなら、巨大な宮殿でも、軍隊でもよかったはずです。実際、権力者たちはそうしたものも用いてきました。
けれど宮殿は、その場所にとどまります。
一方、冠や宝石は身体につけることができる。王が歩けば、それも一緒に動く。
「この身体こそが王である」と、王自身が示すことができる。
しかも宝石は、小さな物質の中に、鮮烈な色、光、希少性、遠い土地からもたらされたという来歴など、特別な価値を凝縮することができます。
王が宝石を身につけた理由を、それだけで説明することはできません。
けれど宝石は、権力を王の身体そのものに結びつけるための、非常に適した物質のひとつだったのでしょう。
王冠に込められた「意味」
たとえば、ウィーンの美術史美術館に所蔵される、のちにオーストリア帝冠となったルドルフ2世の冠。

ルドルフ2世の冠(1602年、のちのオーストリア帝冠)
ヤン・フェルメイエン作/ウィーン帝室宝物館所蔵
Photo: Gryffindor / Wikimedia Commons(Public Domain)
1602年、金細工師ヤン・フェルメイエンによって制作されたもので、金、エナメル、ダイヤモンド、ルビー、スピネル、サファイア、真珠などが使われています。KHM
しかし、ここで現代の私たちの感覚から「王冠なのだから、当時もっとも高価な石を集めたのだろう」と考えるのは少し早いかもしれません。
そもそも、宝石の価値は時代によって変わります。
現代の宝石学では別の鉱物として明確に区別されるルビーとスピネルも、歴史上は赤色スピネルが「バラス・ルビー」と呼ばれ、ルビーと混同された例が数多くあります。
宝石の価値の序列も、現在と同じではありません。16世紀の金細工師チェッリーニは、ルビー、エメラルド、ダイヤモンド、サファイアの順に価値を記しています。出典:GIA「Ruby and Balas Ruby」/GIA「Gems & Gemology」
つまり私たちは、現代の価格表をそのまま過去の王冠に当てはめることはできないのです。
では当時の人々は、何を見て石を選んだのでしょう。
希少性だったのか。
色だったのか。
産地だったのか。
宗教的な意味だったのか。
あるいは、そのすべてだったのか。
ルドルフ2世の冠を見ると、その一端が見えてきます。
この冠の形や装飾そのものが、皇帝の地位や権威を表すよう設計されています。
美術史美術館によれば、冠に使われた石の選択や数にも寓意的・宗教的意味があり、たとえば8個のダイヤモンドは神聖な数字「8」と帝冠の八角形に結びつけられ、ダイヤモンド自体も「不敗のキリスト」を象徴するものとされていました。KHM
つまり王冠とは、単に高価な石を集めたものではなく、権力や宗教的な意味を物質によって表現し、それを王の身体に載せるものでもあったのです。
宝石を「富の象徴」と呼ぶだけでは、どうやら足りなさそうです。