着けていい宝石まで決められていた時代

前回、ビザンティン帝国の金の帯について調べていて、私は一つ引っかかったことがありました。

皇帝が宝石によって、「私は権力を持っている」と示す。

その周囲にいる人々は、「私は、その権力の近くにいる」と示す。

つまり、身につけているものを見れば、その人が社会のどこにいるのかがわかる。

だとしたら。

お金さえあれば、誰でも同じものを身につけることができたのでしょうか。

調べてみると、そうではありませんでした。

当時のヨーロッパ各地には、「あなたはこれを身につけてはいけない」ということを法律で決めた地域があったのです。

真珠を着けていい人、いけない人

とてもわかりやすい例が、ヴェネツィアに残っています。

中世からルネサンス期にかけてのヴェネツィアは、地中海交易によって大きな富を蓄えた都市でした。

そして、この街で何度も規制の対象になった宝石があります。

真珠です。

1299年には、結婚式に参加する人々が真珠を身につけることが禁じられ、花嫁だけは真珠を使った帯を一つだけ身につけることが認められました。

それで終わりではありません。

16世紀になっても、身につけられる真珠の数や価値、そして「誰が身につけてよいのか」について、繰り返し規制がつくられています。

1582年の規定では、真珠を身につけることを許された女性はかなり限定されていました。

ドージェ(ヴェネツィア共和国の元首)の近親女性。

外国大使の妻。

そして花嫁。

真珠は、「買えるかどうか」だけではなく、「あなたが何者なのか」によって、身につけられるかどうかが決まるものだったのです。

《Emilia di Spilimbergo》1560年頃
Assistant of Titian, possibly begun by Gian Paolo Pace
National Gallery of Art, Washington
Public Domain

なぜ、そこまで決める必要があったのか

なぜ国家が、人の首や耳につけるものにまで口を出す必要があったのでしょう。

こうした法律は「奢侈禁止令」「奢侈法」などと呼ばれます。

ただし、その目的を、「庶民が贅沢するのを禁止した」だけで理解すると、少し違うようです。

中世からルネサンス期のイタリアでは、贅沢な衣服や装身具、宴会、婚礼など、さまざまな消費が規制されました。

そこには経済的な理由もあれば、道徳や秩序をめぐる問題もありました。

そして非常に重要なのが、「誰が、何を、どんな場面で使うのか」という問題です。

奢侈そのものが一律に否定されたわけではなく、誰が何の目的で使うのかによって、許される場合と非難される場合がありました。

つまり宝石は、単なる「高価なもの」ではなかった。

その人の身分や立場を、身体の上に見せるものでもあったのです。

だからこそ、その境界が曖昧になると困る。

お金を持っていることと、社会的に高い身分にいることは、必ずしも同じではありません。

商業が発達して、新しい富を手にする人が増えていけば、

「見た目だけなら、誰が貴族なのかわからない」ということが起こってくる。

宝石が社会的な記号であるなら、その記号を誰でも使えるようになれば、記号として機能しなくなってしまいます。だから、宝石を規制することは、社会の「見た目の秩序」を守ることでもあったのでしょう。

「あなたは、それを身につける側の人ではありません」

そう線を引く必要が生まれた背景には、そんな社会秩序の問題もあったのだと思います。

ところが、人間は抜け道を見つける

そして、この話には面白い続きがあります。

17世紀初頭のスペインです。

当時のスペインでも、世俗的な装身具は奢侈規制の対象になっていました。

ところが、宗教的な装身具は別でした。

すると、ロザリオや十字架、聖遺物を納めたペンダントなど、宗教的な装身具には、非常に豪華なものが現れます。

《Reliquary cross and chain》17世紀初頭、スペイン
金、ダイヤモンド、エナメル
The Metropolitan Museum of Art, Gift of J. Pierpont Morgan, 1917
Public Domain

メトロポリタン美術館には、17世紀初頭のスペインで作られた金製の聖遺物容器付き十字架などが残っています。

同館の解説が面白い。

こうした装身具は信仰心を示すものであると同時に、個人の富を見せるものでもあり、ロザリオや十字架などのカトリックの装身具は、王権による禁止を回避することを可能にした、と説明しているのです。The Metropolitan Museum of Art

なんというか。

人間って逞しい。

「宝石をつけるな」と言われても、

「これは信仰のためです」という形で、また宝石を身につける。

もちろん、信仰そのものが口実だったという意味ではありません。

聖遺物や十字架は本当に信仰上重要なものでした。

ただ、その信仰のための装身具が、同時に富を見せるものにもなった。

一つの宝石が、信仰と、富と、社会的な立場を、同時に身体の上で語っていたわけです。

宝石は「好きだから着ける」ものではなかった

ここまで調べてきて、見えてきたことがあります。

現代の私たちは、

「この石が好きだから」

「この色が似合うから」

「このデザインが素敵だから」

と、自分を主体にして宝石を選ぶことができます。

でも、人類が宝石を身につけてきた歴史を遡っていくと、それだけではない時代が長くあるのです。

王は、権力を身につけた。

王の周囲にいる人は、王との距離を身につけた。

そしてある時代には、「何を身につけてよい人なのか」という社会的な立場まで、宝石によって示されていた。

宝石は、その人が何者なのかを語る、小さな社会的言語であったのかもしれません。

でも。

ここで次の疑問が出てきます。そんなに厳しく線を引かれていた宝石が、いったいいつ、私たちのような普通の人間でも身につけられるものになったのでしょう。

次は、「宝石は、いつ庶民のものになったのか。」そこを調べてみたいと思います。

参照先:
Oxford Academic — Sumptuary Law in Italy 1200–1500
The Met — Reliquary cross and chain, early 17th-century Spain
The Met — Spanish Reliquary
Art Institute of Chicago — Renaissance Jewelry in the Alsdorf Collection